中国を代表する世界遺産「万里の長城」。
山の稜線をどこまでも進んでいく巨大な壁は、世界でもっとも有名な建造物の一つです。
「秦の始皇帝が造った長い壁」というイメージを持っている人も多いかもしれません。
しかし、実際の万里の長城はそれほど単純ではありません。
現在「万里の長城」と呼ばれているものは、一人の皇帝が、一つの時代に、一気に造った一本の壁ではないのです。
UNESCOによると、長城は紀元前3世紀ごろから17世紀まで、歴代の王朝によって建設・改修され続けた巨大な軍事防衛施設です。総延長は2万キロを超えます。
中国国家文物局が公表した調査結果では、歴代の長城遺跡を合計した長さは21,196.18キロメートルに達します。
では、この2万キロを超える巨大建造物は、いったい何年かけて造られたのでしょうか。
今回は、万里の長城を「巨大な一本の壁」ではなく、何世紀にもわたって拡張された超巨大インフラプロジェクトとして見ていきます。
万里の長城は「一本の壁」ではない
まず知っておきたいのは、万里の長城が東京からどこかまで延びる一本の連続した壁ではないということです。
中国の調査では、長城遺産には、
城壁。
壕。
見張り台。
烽火台。
関所。
砦。
その他の関連施設。
などが含まれています。
つまり「万里の長城」とは、単なる壁の長さではなく、広大な地域に造られた軍事防衛施設群の総称に近いのです。
現代にたとえるなら、一つの高速道路だけではなく、
道路。
料金所。
サービスエリア。
トンネル。
橋。
管理施設。
などをまとめた巨大インフラ網を一つの名称で呼んでいるようなものです。
これを理解すると、「全長2万キロ」という数字の意味も少し見え方が変わってきます。
総延長21,196.18キロは東京からどれくらい?
2012年、中国国家文物局は長城資源の調査結果を公表しました。
その結果、歴代の長城遺跡の総延長は21,196.18キロメートルと認定されています。
2万キロという数字は、日常生活ではほとんど想像できません。
地球一周は赤道付近で約4万キロです。
単純比較すれば、長城遺跡の総延長は地球半周ほどに相当するスケールです。
ただし、これは一直線に2万キロ続いているという意味ではありません。
異なる時代に異なる場所へ造られた長城を合計した数字です。
それでも、人間が造った防衛施設として規格外の規模であることに変わりはありません。
秦の始皇帝より前から長城は存在していた
万里の長城について最も多い誤解の一つが、
「秦の始皇帝がゼロから造った」
というものです。
実際には、始皇帝より前から中国各地には城壁が存在していました。
春秋戦国時代には、それぞれの国が敵国や周辺勢力から領土を守るため、自国の境界などに防御壁を築いていました。
中国の公的資料でも、長城建設の歴史は秦より古く、春秋戦国期には複数の諸侯国がそれぞれ城壁を築いていたと説明されています。
つまり始皇帝は、
何もない土地に突然2万キロの壁を造った人物
ではありません。
始皇帝が行ったのは「既存の防御線をつなぐ」こと
紀元前221年、秦が中国を統一しました。
その後、始皇帝は北方からの侵入に備えるため、それまで各国が築いていた防御施設の一部を接続し、強化していきます。
UNESCOも、紀元前220年ごろ、秦の始皇帝のもとで既存の防御施設が連結され、統一された防衛システムが形成されたと説明しています。
ここが重要です。
始皇帝の巨大プロジェクトは、
「世界一長い壁を一本造る」ことではなく、「別々に存在していた防御線を一つの軍事システムとして再編する」こと
だったと考えた方が理解しやすいでしょう。
現代の都市開発でいえば、既存の道路や鉄道をつなぎ、広域ネットワークを作るような発想に近い部分があります。
では、建設期間は何年?
ここで今回のタイトルに戻ります。
「万里の長城は何年かけて造られたのか?」
結論からいえば、
一つの数字で答えることはできません。
UNESCOによると、現在世界遺産として評価されている長城は、紀元前3世紀から17世紀まで歴代王朝によって建設され続けました。
単純に期間だけを考えると、約2,000年にわたります。
ただし、
「一つの建物を2,000年間工事した」
という意味ではありません。
ある王朝が造る。
別の王朝が拡張する。
一部が使われなくなる。
別の地域へ新しい壁を造る。
既存部分を修復する。
といった工事が繰り返されました。
そのため万里の長城は、
2,000年かかった建物というより、2,000年間更新され続けた防衛インフラ
と表現する方が実態に近いでしょう。
漢代にはさらに西へ広がった
秦の後に成立した漢王朝でも、長城は重要な軍事施設として使われました。
特に漢代には、北方勢力への防衛だけではなく、西域との交通路を守る目的も重要になっていきます。
長城や烽火台、防御施設が西側へ延び、交易路や軍事拠点を守る役割を担いました。
つまり長城は単に、
「敵が来ないようにする壁」
ではありません。
人。
物資。
軍隊。
情報。
を管理するための巨大な国境インフラでもあったのです。
時代によって「材料」まで違う
観光写真で見る万里の長城は、灰色のレンガや石で造られた重厚な姿が印象的です。
しかし、すべての長城が同じ材料で造られているわけではありません。
地域や時代によって、
土。
版築。
石。
レンガ。
木材。
など、使われる材料は異なります。
UNESCOも、西漢時代の甘粛省には版築による長城が残る一方、明代には石やレンガを使った高度な構造が見られると評価しています。
これは非常に合理的です。
巨大な建造物を何千キロも造る場合、すべての材料を遠くから運んでいたら、それだけで途方もないコストになります。
そこで、
その地域で手に入りやすい材料を使う。
地形に合わせて構造を変える。
という方法が採用されました。
長城は「地産地消の巨大建築」だった?
現代の建築でも、資材の輸送費は大きなコストになります。
コンクリート。
鉄骨。
木材。
石材。
などを建設現場まで運ばなければなりません。
まして古代には、大型トラックも鉄道もありません。
そのため何千キロ規模の長城を造るには、
その土地で調達できる材料を使うことが非常に重要だった
と考えられます。
砂漠では土。
山岳部では石。
後の時代にはレンガ。
環境に合わせて造り方を変えたからこそ、広大な地域へ防衛施設を展開できたのです。
私たちがよく見る長城は「明代」のもの
現在、北京近郊などで観光地として有名な万里の長城を見ると、
「2000年以上前の壁がこんなにきれいに残っているのか」
と思う人もいるかもしれません。
しかし、ここにも注意が必要です。
現在比較的良好な状態で残っている代表的な区間の多くは、秦の始皇帝の時代ではなく、明代に建設・改修された長城です。
明王朝は1368年から1644年まで続きました。
UNESCOも、明代まで長城建設が継続し、この時期に巨大な軍事建築として高度に発達したとしています。
中国側の世界遺産関連資料によると、明代の長城だけでも総延長は8,851.8キロメートルに達します。
なぜ明代の長城は頑丈なのか
明代には、それ以前より高度な築城技術が使われました。
特に東部では、
石。
焼成レンガ。
土を固めた内部構造。
などを組み合わせた長城が多く造られました。
見張り台や関所も整備され、防衛施設としての完成度が高められました。
つまり私たちがイメージする、
山の尾根に沿ってレンガ造りの巨大な壁が続く万里の長城
は、主に明代に完成度を高めた姿なのです。
秦の始皇帝が見た長城と、現在観光客が見る長城は、同じものではありません。
壁だけ造っても防衛システムにはならない
長城の面白さは、壁だけに注目すると見えにくくなります。
巨大な防衛システムとして機能させるには、
見張る。
連絡する。
兵士を配置する。
物資を保管する。
軍隊を移動させる。
敵の侵入を知らせる。
といった仕組みが必要です。
そのため長城には、見張り台や烽火台、関所、砦などが設置されました。
UNESCOも、長城の主要構成要素として壁だけでなく、軍馬などが移動する道、見張り塔、避難施設、要塞、関所などを挙げています。
つまり万里の長城とは、
超長距離の「壁付き軍事ネットワーク」
なのです。
烽火台は古代の通信インフラ
特に興味深いのが、烽火台です。
敵の侵入などを遠くへ知らせるため、煙や火などを使った信号が利用されました。
現代なら、
電話。
インターネット。
無線。
監視カメラ。
などで情報を送ります。
しかし古代では、山の上に設けた施設から視覚的な信号を送ることで、離れた拠点へ情報を伝えました。
つまり長城は、
防御施設。
交通施設。
監視施設。
通信施設。
が一体化したシステムだったと見ることができます。
「巨大な壁」ではなく「国土開発」と考えると分かりやすい
ここまで見ると、万里の長城が単なる建築物ではないことが分かります。
山を越える。
砂漠を越える。
道路を造る。
砦を造る。
兵士を配置する。
物資を運ぶ。
情報を送る。
これらを広大な地域で行う必要があります。
現代でいえば、
高速道路網。
鉄道網。
防衛拠点。
通信ネットワーク。
物流施設。
を一体で整備するようなものです。
そう考えると、万里の長城は古代最大級の国土インフラ事業だったともいえるでしょう。
2万キロすべてが現在もきれいに残っているわけではない
「全長21,196キロ」と聞くと、そのすべてに立派な壁が残っているように思うかもしれません。
しかし、当然ながらそうではありません。
長い年月の中で、
崩壊。
風化。
自然災害。
人為的な損傷。
などを受けた場所もあります。
中国側の長城保護に関する資料では、2万キロを超える長城遺産のうち、良好に保存されている割合は一部に限られ、保存状態が悪い区間も多いとされています。
つまり、私たちが写真でよく見る美しい長城は、全体のごく一部なのです。
世界遺産になったのは1987年
万里の長城は1987年、UNESCOの世界文化遺産に登録されました。
UNESCOは長城について、約2,000年間にわたって一つの戦略的目的のために造られながら、時代ごとの防御技術や政治状況の変化を示す、極めて特殊な軍事建築群だと評価しています。
つまり世界遺産として評価されているのは、
「世界一長い壁だから」
だけではありません。
長い歴史の中で、
技術。
政治。
軍事。
社会。
文化。
が変化してきたことを、一つの巨大建造物群から読み取れる点にも価値があるのです。
建物は長ければ長いほど維持が難しい
万里の長城を不動産・建築の視点から見ると、もう一つ重要な問題があります。
それが維持管理です。
マンションでも、
建物が大きい。
共用設備が多い。
敷地が広い。
ほど、一般的には点検・修繕する場所が増えます。
では総延長2万キロを超える建造物ならどうでしょうか。
すべてを常に同じ状態で保存することは現実的ではありません。
長城保護が難しいのは、歴史が古いからだけではなく、あまりにも広範囲に分布しているからでもあります。
「建てること」より「残すこと」の方が難しい
今回のシリーズでは、建物が完成した後の維持管理を何度も取り上げてきました。
ピラミッド。
サグラダ・ファミリア。
ケルン大聖堂。
ミラノ大聖堂。
そして万里の長城。
どれも建設方法はまったく違います。
しかし共通していることがあります。
それは、
巨大建築は完成させるだけでなく、その後どう残すかが重要
だということです。
万里の長城の場合、その対象が2万キロ以上に及びます。
歴史的建造物を保存する難しさを、これほど極端に示す例は世界でも珍しいでしょう。
「宇宙や月から見える」は本当?
万里の長城には有名な話があります。
「人間が造った建造物で唯一、月から肉眼で見える」
というものです。
しかし、これは事実ではありません。
長城は非常に長い一方で、幅は限られています。
周囲の地形と色も似ているため、月から肉眼で確認できる建造物ではありません。
有名な建築には、長い年月の中でさまざまな伝説が生まれます。
万里の長城も、
「始皇帝が全部造った」
「一本の壁が2万キロ続いている」
「月から見える」
など、事実とイメージが混ざりやすい建造物です。
だからこそ、実際の構造や歴史を知るとさらに面白くなります。
まとめ
万里の長城は、
「秦の始皇帝が造った一本の巨大な壁」ではありません。
始皇帝以前から各地に防御壁があり、紀元前3世紀ごろには既存の防御線が統合・強化されました。
その後も漢、明など複数の王朝が建設・修復・拡張を続けました。UNESCOは、その歴史を紀元前3世紀から17世紀まで、約2,000年に及ぶものとして説明しています。
さらに中国国家文物局の調査では、歴代長城遺跡の総延長は21,196.18キロメートルに達します。
しかし、この数字も一直線の壁の長さではありません。
城壁。
壕。
見張り台。
関所。
砦。
など、広大な地域に造られた防衛施設群を含む巨大なネットワークです。
そのため、
「万里の長城は完成まで何年かかった?」
という問いへの答えは、
「約2,000年」だけでは不十分
です。
正確には、
約2,000年にわたり、複数の王朝が必要に応じて造り、つなぎ、直し、拡張してきた巨大インフラ
と考える方が近いでしょう。
第1回のピラミッドは「約4500年間残った巨大建築」。
第2回のサグラダ・ファミリアは「140年以上造り続けている建築」。
第3回のケルン大聖堂は「300年以上工事が止まってから完成した建築」。
第4回のミラノ大聖堂は「完成と修復の境界が曖昧な建築」。
そして万里の長城は、
「一つの建物ではなく、約2,000年間更新され続けた超巨大建設プロジェクト」
です。
建築のスケールを「高さ」や「面積」だけで考えていると、万里の長城の本当のすごさは見えてきません。
材料調達。
物流。
人員。
通信。
防衛。
維持管理。
そして何世代にもわたる更新。
そのすべてを考えると、万里の長城は巨大な壁というより、古代中国が何世紀にもわたって整備した超広域インフラだったといえるでしょう。
そして次回はいよいよ最終回です。
世界の巨大建築を見てきた最後に、日本へ戻ります。
第6回のテーマは、
「日本の城はなぜ短期間で造れた?世界の巨大建築と比べて分かる日本の建築技術」
です。
ピラミッドや大聖堂では、数十年、数百年という建設期間が珍しくありませんでした。
それに対して、日本では巨大な城郭が比較的短期間で整備された例があります。
なぜ日本の城は短期間で造ることができたのでしょうか。
木造建築。
石垣。
分業。
大量動員。
そして地震や火災。
最終回は、世界の巨大建築と日本の城を比較しながら、「長く造る建築」と「建て直しながら残す建築」の違いを考えます。
引用元・参考元
- UNESCO World Heritage Centre「The Great Wall」
- UNESCO World Heritage Centre「The Great Wall(UNESCO/TBS)」
- 中国政府関連資料「世界文化遺産―長城」
- 北京市文物局「長城」
- 北京市人民政府「長城資源調査」関連資料
- UNESCO提出資料「Great Wall Resources of the Ming Dynasty」
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