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【世界のすごすぎる建築 第4回】ミラノ大聖堂はなぜ完成まで約600年?時代ごとに変化した巨大建築

2026/09/06
不動産投資コラム

イタリア・ミラノの中心に立つ「ミラノ大聖堂(ドゥオーモ)」。

白く輝く大理石の外壁、空へ伸びる無数の尖塔、そして屋根の上に並ぶ大量の彫刻。

写真を見ただけでも圧倒される建築ですが、その歴史をたどるとさらに驚かされます。

建設が始まったのは1386年。

その後、何世紀にもわたって工事が続き、正面ファサードや尖塔、扉などが少しずつ完成していきました。

そのため「完成まで約600年かかった建築」と紹介されることもあります。

ただし、ここで注意したいのは、ミラノ大聖堂にはケルン大聖堂のように「この年にすべて完成した」と一本の線を引きにくいことです。

実際には、教会として使われながら増築・装飾・改修が続き、20世紀になっても正面の扉などが加えられています。現在も修復と保存のための工事は続いています。

今回は、なぜミラノ大聖堂がこれほど長期間にわたって造られてきたのか、そして「建物はいつ完成したといえるのか」という少し変わった視点から見ていきます。

ミラノ大聖堂の建設が始まったのは1386年

ミラノ大聖堂の建設は1386年に始まりました。

新しい大聖堂は、それ以前に存在していたサンタ・マリア・マッジョーレ聖堂やサンタ・テクラ聖堂などがあった場所に建設されました。

現在でも、大聖堂周辺の地下にはそれら古い宗教施設の遺構が残っています。

翌1387年には、大聖堂の建設を進めるための組織「ヴェネランダ・ファッブリカ・デル・ドゥオーモ」が設立されました。

驚くべきことに、この組織は現在も存在しています。

つまりミラノ大聖堂では、600年以上前に建設のために作られた組織が、今も建物の維持管理に関わっているのです。

最初はレンガの予定だった

現在のミラノ大聖堂を見れば、「大理石の建物」という印象が非常に強いでしょう。

しかし、当初から現在のような大理石建築を予定していたわけではありません。

当初の計画では、ロンバルディア地方で一般的だったレンガを使用する考えもありました。

ところが、当時ミラノを支配していたジャン・ガレアッツォ・ヴィスコンティの判断によって、より壮大なゴシック建築を目指すことになり、カンドリア産の大理石を使う計画へと変わりました。

ここで建物の性格が大きく変わります。

レンガではなく、大量の大理石を使う。

しかも巨大なゴシック建築にする。

この決定によって、建設の難易度は大きく上がりました。

大理石をどうやってミラノまで運んだ?

巨大建築では、材料そのもの以上に「どう運ぶか」が重要です。

第1回のピラミッドでも石材の運搬を取り上げましたが、ミラノ大聖堂でも同じ問題がありました。

使用されたカンドリア大理石の採石場は、ミラノの中心部ではなく、現在のピエモンテ州メルゴッツォ周辺にあります。

そこで採掘した大理石を、

トーチェ川。

マッジョーレ湖。

ティチーノ川。

ナヴィリオ・グランデ運河。

という水路を利用してミラノまで運びました。

さらに市内の水路を使い、建設現場近くまで石材を届けていました。

現代なら大型トラックで運ぶことを考えます。

しかし14世紀の巨大建築では、河川と運河が建設資材の物流インフラそのものだったのです。

水運による大理石輸送は、20世紀初頭まで続きました。

「ヨーロッパ中の技術者」が集まった建設現場

大理石を使った巨大ゴシック建築は、当時のミラノだけの技術では簡単に実現できるものではありませんでした。

そこで建設現場には、ヨーロッパ各地から、

建築家。

技術者。

彫刻家。

石工。

などが集められました。

公式資料では、ミラノ大聖堂の建設現場は、さまざまな国の技術や思想が交わる場所になったと説明されています。

結果として、誰か一人を「ミラノ大聖堂の設計者」と断定することも難しくなっています。

何世代もの建築家と技術者が関わりながら、少しずつ姿を作っていったからです。

つまりミラノ大聖堂は、

一人の天才建築家が設計した建物ではなく、数百年にわたる巨大な共同プロジェクト

ともいえるでしょう。

レオナルド・ダ・ヴィンチも設計に関わった?

ミラノ大聖堂の歴史には、意外な人物も登場します。

レオナルド・ダ・ヴィンチです。

15世紀末、大聖堂中央部の「ティブリオ」と呼ばれる構造部分をどう設計するかが大きな課題になりました。

その設計について、当時の著名な建築家や芸術家たちが案を出し、レオナルド・ダ・ヴィンチも検討に参加しています。

最終的に彼の案がそのまま採用されたわけではありません。

それでも、ルネサンスを代表する人物まで参加していたことから、大聖堂が当時いかに重要なプロジェクトだったかが分かります。

建設中に「建築様式」が変わっていった

600年近く建設が続けば、当然ながら時代そのものが変わります。

1386年に建設が始まったころは、中世ゴシック建築の時代でした。

しかしその後、

ルネサンス。

バロック。

新古典主義。

近代。

と、建築の流行そのものが変わっていきます。

大聖堂の内部にも、16世紀の宗教改革・対抗宗教改革の影響を受けた改修が行われました。

祭壇や地下聖堂、床、内装なども、時代に合わせて手が加えられています。

普通の建物なら、設計を決めて数年で完成します。

しかし600年規模の建設になると、

着工した時代と完成に近づいた時代で、建築の常識そのものが違う

という問題が起きます。

正面ファサードだけでも数百年

現在のミラノ大聖堂で特に目立つのが、巨大な正面ファサードです。

ところが、この部分も簡単には完成しませんでした。

正面部分の計画は16世紀末から本格化しましたが、最終的な設計がまとまるまでには長い時間がかかりました。

そして19世紀初頭。

大きく工事を動かした人物がナポレオンです。

1805年にナポレオンがイタリア王としてミラノで戴冠することになり、その前後から正面ファサード完成へ向けた工事が急速に進められました。

1807年から1813年にかけて、大きな進展があったと公式資料に記録されています。

つまりミラノ大聖堂は、

宗教。

建築。

芸術。

だけではなく、

政治によって工事速度が変わった建物

でもあります。

1774年、「マドンニーナ」が頂上へ

ミラノ大聖堂を象徴するものの一つが、最も高い尖塔の頂上に立つ黄金の聖母像「マドンニーナ」です。

主尖塔は1765年から1769年ごろに建設され、1774年に高さ約4.16メートルの聖母像が設置されました。

これによって大聖堂の高さは約108.5メートルとなりました。

このマドンニーナは、単なる飾りではありません。

長年にわたりミラノの街を象徴する存在となり、「マドンニーナより高い建物を建てない」という慣習まで生まれました。

後に高層建築が登場すると、その屋上にマドンニーナの複製が置かれるというユニークな対応も行われています。

ここには非常に面白い不動産・都市計画の視点があります。

一つの歴史建築が、周囲の建物の高さや街の景観にまで影響した

のです。

尖塔は135本、彫刻は3400体以上

ミラノ大聖堂の特徴は、単に大きいことではありません。

装飾の量が圧倒的です。

屋上には135本の尖塔があり、その多くは約17メートルの高さがあります。

さらに大聖堂全体には、

3400体以上の彫像。

150体のガーゴイル。

その他多数の装飾。

が配置されています。

これだけ大量の装飾があるということは、建設時だけでなく、維持管理も大変です。

一つ一つの彫刻や尖塔を点検し、劣化すれば補修する必要があります。

つまり建築が複雑であればあるほど、完成後の維持費と修復作業も増えることになります。

「600年かかった」は正しいのか?

ここで、今回最大の疑問です。

ミラノ大聖堂は本当に「完成まで600年かかった」のでしょうか。

答えは、少し複雑です。

建設開始は1386年です。

18世紀には主尖塔とマドンニーナが完成。

19世紀には正面ファサードが大きく完成。

さらに尖塔やステンドグラスなどの工事が続きました。

そして20世紀には正面扉が加えられ、公式資料ではそれらの扉は1909年から1965年にかけて完成したとされています。

1386年から1965年までを単純計算すると、約580年です。

そのため一般的に「約600年」と表現されるわけです。

しかし、大聖堂はその間ずっと使えない建物だったわけではありません。

1418年には主祭壇が正式に聖別されています。

つまり、

使いながら造る。
造りながら改修する。
完成した部分を修復しながら、別の部分を造る。

という状態が数百年続いたのです。

では、どこからが「完成」なのか

これは現代の不動産にも意外とつながるテーマです。

マンションなら竣工日があります。

そのため、

「完成した日」

を比較的はっきり決められます。

しかし、巨大な歴史建築ではそう単純ではありません。

本体構造が完成した時。

教会として使い始めた時。

正面が完成した時。

すべての尖塔が完成した時。

最後の扉が付いた時。

どれを「完成」と呼ぶかによって、答えが変わります。

ミラノ大聖堂は、その典型例です。

現在も「工事現場」は存在している

さらに驚くのは、ミラノ大聖堂には現在も建設・修復現場があることです。

ヴェネランダ・ファッブリカは、現在も大聖堂内外で、

石材の保存。

修復。

技術設備の更新。

装飾の交換。

ステンドグラスや木工品などの維持。

を行っています。

現場には、

石工。

大工。

鍛冶職人。

電気技術者。

修復専門家。

などが働いています。

つまり、600年前の建設組織が、形を変えながら現在も「現場」を動かしているのです。

600年前の石切り場も今なお使われる

さらに象徴的なのが、カンドリア大理石です。

1387年に大聖堂建設用として使われ始めた採石場は、現在も大聖堂の修復に使われています。

建物の石が風化した場合、同じ種類の大理石を採掘し、加工し、交換することがあります。

現代のマンションで、

「600年前から同じ採石場の材料を補修用に使い続けている」

と考えれば、その特殊さが分かるでしょう。

修復にも最新技術を使う

もちろん、修復方法まで中世と同じではありません。

現在の石材加工施設では、

電動工具。

数値制御による切削機。

各種加工機械。

など現代技術が導入されています。

一方で、最終的な彫刻や仕上げには熟練した職人の技術も必要です。

つまり現在のミラノ大聖堂は、

600年前から続く伝統技術と、21世紀の加工技術が同時に使われている建築

なのです。

これは前回のケルン大聖堂、そして第2回のサグラダ・ファミリアにも共通する特徴です。

「完成した建物」でも交換し続けなければ残らない

歴史建築を見ると、

「600年前の建物がそのまま残っている」

と思いがちです。

しかし現実は違います。

大理石も劣化します。

彫刻も傷みます。

金属も腐食します。

設備も交換が必要です。

そのためミラノ大聖堂では、状態が悪化した彫刻などを安全上の理由から取り外し、新しい部材に交換することがあります。

ここに、建物の「寿命」を考える重要なヒントがあります。

建物を長く残すとは、

すべてを一切交換せず保存することではありません。

必要な部分を直す。

交換する。

補強する。

それを繰り返すことで、建物全体を残していく。

これは現代の住宅やマンションでも同じです。

マンションも「建てた瞬間」が完成ではない

マンションにも、

外壁。

屋根防水。

給排水管。

エレベーター。

機械式駐車場。

インターホン。

照明。

など、時間とともに修繕・交換が必要な部分があります。

建物本体が十分に使える状態でも、設備を放置すれば暮らしにくくなります。

そのため不動産では、

築年数。

だけを見るのではなく、

どのように維持管理されてきたか

を見ることが重要です。

600年以上にわたって手を入れ続けるミラノ大聖堂は、極端な例ではありますが、

「建物は手を入れ続けることで残る」

という基本を非常に分かりやすく示しています。

「完成」と「維持」の境界がなくなった建築

ミラノ大聖堂を見ていると、

建築とはいつ完成するのか。

という疑問が出てきます。

1386年に建設開始。

1418年には祭壇を聖別。

1774年にはマドンニーナ。

19世紀には正面ファサード。

20世紀には扉。

そして現在も修復工事。

こうして見ると、

「ここで完全に工事が終わった」

という瞬間を決めることは簡単ではありません。

ある意味では、

完成した瞬間から修復が始まり、修復しながら使い続けている

ともいえます。

まとめ

ミラノ大聖堂の建設は1386年に始まりました。

翌1387年には建設を管理するヴェネランダ・ファッブリカが設立され、大理石を使った巨大ゴシック建築が本格的に進められました。

しかし完成までの道のりは非常に長いものでした。

建築家が変わる。

建築様式が変わる。

宗教事情が変わる。

政治が変わる。

施工技術が変わる。

そして時代ごとに、新しい要素が加えられていきました。

1774年にはマドンニーナ。

19世紀には正面ファサードの整備。

20世紀には正面扉。

と、何世紀にもわたって姿を変え続けました。

だからこそ、

「完成まで約600年かかった」

という表現には、少し注意が必要です。

約600年間ずっと完成を待っていた建物ではありません。

教会として使いながら、

造る。

装飾する。

直す。

新しい技術を取り入れる。

という作業を繰り返してきた建物なのです。

そして現在も修復・保存工事は続いています。

第1回のピラミッドは「約4500年間残った建築」。

第2回のサグラダ・ファミリアは「140年以上造り続けている建築」。

第3回のケルン大聖堂は「300年以上中断してから完成した建築」。

そしてミラノ大聖堂は、

「どこからが完成なのか分からないほど、何世紀にもわたって造り、直し続けてきた建築」

といえます。

建物を長く使うために重要なのは、最初に丈夫に造ることだけではありません。

定期的に点検し、

傷んだ部分を直し、

必要なら交換し、

時代に合わせて設備を更新する。

その積み重ねが、建物の寿命を延ばします。

600年以上にわたって建築と修復を続けるミラノ大聖堂は、現代の不動産にも通じる「建物を長く使う」という考え方を、世界でもっとも壮大なスケールで見せてくれる建築なのです。

次回、第5回は中国の万里の長城です。

よく「全長2万キロを超える壁」と紹介されますが、実は万里の長城は、一人の皇帝が一度に造った一本の壁ではありません。

いくつもの時代。

いくつもの王朝。

いくつもの地域。

それぞれで造られた城壁や防御施設をまとめて「万里の長城」と呼んでいます。

では、

万里の長城は何年かけて造られたのでしょうか。

第5回は「建物の建設期間」という考え方そのものが分からなくなる、世界最大級の巨大建造物を取り上げます。

引用元・参考元

  • Duomo di Milano公式「The Cathedral」
  • Duomo di Milano公式「The Candoglia Quarry」
  • Duomo di Milano公式「The Terraces」
  • Duomo di Milano公式「Duomo’s Construction Site」
  • Duomo di Milano公式「The Marble Yard」
  • Duomo di Milano公式「Madonnina – Main Spire」
  • Duomo di Milano公式「Archaeological Area」

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