これまでこのシリーズでは、世界の「時間がかかりすぎる建築」を見てきました。
ピラミッドは約4500年前。
サグラダ・ファミリアは140年以上にわたって建設。
ケルン大聖堂は着工から完成まで632年。
ミラノ大聖堂は約600年にわたって造り続けられ、万里の長城は約2000年にわたって拡張されました。
こうした巨大建築を見たあとに日本の城の歴史を調べると、少し不思議なことに気づきます。
たとえば豊臣秀吉の大坂城は1583年に築城が始まり、1585年には天守が完成しています。現在の姫路城につながる池田輝政の大改築は1601年に始まり、1609年には大天守が完成しました。名古屋城では1610年に築城工事が始まり、1612年には天守が完成しています。
数百年かかったヨーロッパの大聖堂と比べると、驚くほど短く感じます。
では、日本の城はなぜ短期間で造ることができたのでしょうか。
今回は大阪城、姫路城、名古屋城などを例に、木造建築、石垣、資材調達、大名の動員、そして「建て直しながら残す」という日本建築の特徴を考えます。
まず知っておきたい「城=天守」ではない
日本の城について考えるとき、最初に注意したいことがあります。
私たちは「城」と聞くと、白や黒の巨大な天守を思い浮かべがちです。
しかし本来の城郭は、天守だけで構成されているわけではありません。
石垣。
堀。
門。
櫓。
御殿。
兵士が詰める施設。
道路。
そして周囲の城下町。
これらを含めた巨大な防御・政治・都市システムです。
そのため、
「天守が2年で完成した」
ことと、
「城全体が2年で完成した」
ことは同じではありません。
ここを分けて考えることが重要です。
豊臣大坂城の天守は約1年半で完成
まず大阪城を見てみましょう。
大阪城天守閣の公式資料によると、豊臣秀吉は1583年9月に大坂城の築城を開始しました。
そして天守が完成したのは1585年4月です。
単純に考えれば、着工から天守完成まで2年もかかっていません。
サグラダ・ファミリアやケルン大聖堂を見たあとでは、
「そんなに早く巨大な城を造れるのか」
と思ってしまいます。
しかし実際には、大坂城の工事はそこで終わっていません。
1586年には二の丸の工事が始まり、さらに1594年には惣構えの堀など、大規模な外郭整備が進められました。
つまり、
天守は短期間で完成したが、城郭全体はその後も拡張され続けた
のです。
これは現代の再開発で、最初に中核施設を開業し、その後周辺地区を段階的に整備していく姿にも少し似ています。
姫路城も8年で大改築された
次に姫路城です。
現在の姫路城の基本的な姿は、関ヶ原の戦い後に城主となった池田輝政による大改築によって造られました。
工事開始は1601年。
大天守完成は1609年です。
つまり約8年。
姫路市の資料では、この大改築に延べ3000万~5000万人規模の人員が動員されたとする記述もあります。
もちろん、この数字は現代の「常時雇用者数」とは意味が違い、工事期間全体で積み上げた延べ人数です。
それでも、日本を代表する巨大城郭を短期間で整備するために、極めて大規模な労働力が必要だったことが分かります。
さらに1617年以降には西の丸などが増築され、現在知られる城郭の全容へ近づいていきました。
ここでも、
城は一度にすべて完成したわけではない
ことが分かります。
名古屋城はさらに驚異的なスピード
もっと分かりやすい例が名古屋城です。
徳川家康が名古屋城の築城を命じたのは1609年。
本格的な工事は1610年に始まりました。
ところが、1612年には大小天守が完成しています。
天守だけを見れば、わずか2年ほどです。
さらに名古屋城公式サイトによると、天守台の石垣は加藤清正が担当し、3カ月とかからず築き上げたとされています。
現代でも大規模な基礎工事には相当な時間がかかります。
巨大な石材を使った城の石垣を短期間で築くために、どれほどの人員と資材が投入されたのかを想像すると、その規模が見えてきます。
最大の理由は「大量動員できる仕組み」
日本の城が比較的短期間で造られた理由として、まず重要なのが人員動員です。
特に江戸幕府成立後の大規模城郭では、「天下普請」や「公儀普請」と呼ばれる仕組みが使われました。
幕府が複数の大名に工事を割り当て、それぞれが人員・資材・費用を負担して工事を進めます。
名古屋城では、加藤清正や福島正則などを含む主に西国・北国の20大名が動員されました。
大名ごとに石垣の担当区画が割り当てられ、並行して工事が進められたのです。
現代の建設でいえば、
一つの会社が最初から最後まで順番に施工する
のではなく、
複数の大手建設会社が工区を分担し、一斉に施工する
ようなものです。
これなら工期を大きく短縮できます。
石垣には「担当大名」がいた
現在でも大阪城などの石垣を見ると、石に刻印が残っていることがあります。
これは石材の管理や、大名・石工集団との関係を示すものと考えられています。
徳川幕府による大坂城再築でも、複数の大名が工事を担当しました。
大阪市によると、徳川期の大坂城は1620年から1629年まで3期に分けて再築され、諸大名が工事を分担しました。
そして、現在私たちが大阪城で見ている巨大な石垣や堀は、基本的にこの徳川期に造り直されたものです。
豊臣秀吉時代の石垣は、その下に埋まっています。
つまり現在の大阪城は、一つの時代の建物がそのまま残っているわけではありません。
豊臣期の城の上に、徳川幕府が巨大な城を造り直した
という多層的な遺跡なのです。
「木造だから早かった」は半分正しく、半分違う
日本の城が短期間で造られた理由として、
「木造だったから」
という説明もあります。
確かに、ヨーロッパの巨大石造大聖堂と比較すると、主要建築を木で造る日本の城には工期上の違いがあります。
木材は加工しやすく、
柱。
梁。
床。
屋根。
などを複数の場所で準備し、現場で組み上げることができます。
日本では寺社建築を通じて高度な木造技術が蓄積されており、大工集団が建築を担いました。
ただし、だからといって城が「簡単な建築」だったわけではありません。
巨大な天守には大量の木材が必要です。
名古屋城公式サイトでは、旧天守に檜2815本、欅の角材408本、松の角材9796本が使われたとする古資料が紹介されています。
これだけの材料を、
伐採する。
乾燥させる。
加工する。
運ぶ。
組み上げる。
必要があります。
木造だから楽なのではなく、
木造建築を大規模かつ効率的に施工できる技術体系がすでに存在していた
ことが重要なのです。
石垣と木造を組み合わせた合理的な構造
日本の城は、すべてを木だけで造るわけでもありません。
下部には巨大な石垣を築き、その上に木造建築を載せます。
石垣は、
敵の侵入を防ぐ。
高低差を作る。
建物を支える。
防御力を高める。
といった役割を持ちます。
一方、その上に建つ天守や櫓は木造です。
つまり、
重量感のある石造部分と、比較的加工しやすい木造部分を組み合わせた建築
ともいえます。
これは日本の地形や材料、職人技術に適応した方法でした。
日本の城は「完成後に建て直す」ことも多かった
ここまで見ると、日本の城は非常に効率的な建築だったように感じます。
しかし大きな弱点もありました。
火災です。
木造建築である以上、火には弱い。
戦争。
落雷。
失火。
空襲。
などによって、多くの天守や御殿が焼失しました。
大阪城もその典型です。
豊臣期の大坂城は1615年の大坂夏の陣で落城。
その後、徳川幕府が城を全面的に造り直しました。
徳川期の天守も1665年に落雷で焼失し、幕府時代には再建されませんでした。
現在の大阪城天守閣は1931年、市民の寄付によって建てられた3代目の天守です。しかも木造ではなく、当時の最新技術だった鉄骨鉄筋コンクリート造です。
つまり現在の大阪城は、
「400年前の木造天守がそのまま残っている」
建物ではありません。
姫路城が特別なのは「現存している」こと
その点で非常に貴重なのが姫路城です。
現在の大天守は1609年に完成したものです。
戦火や大規模火災による焼失を免れ、現在まで残りました。
もちろん400年間何もしていないわけではありません。
1956年から1964年には「昭和の大修理」が行われ、大天守を解体して修復する大規模工事が実施されました。
さらに2009年からは「平成の修理」が行われ、2015年に工事を終えています。
ここでも、このシリーズで何度も出てきた考え方に戻ります。
古い建物は、放置したから残ったのではありません。
修理し続けたから残ったのです。
「建て直す文化」と「石造で残す文化」
世界の建築と日本の城を比べると、一つ大きな違いが見えてきます。
ヨーロッパの大聖堂では、巨大な石造建築を数百年かけて造り、その石造躯体を修復しながら残してきた例があります。
一方、日本では木造建築が中心でした。
そのため、
火災で焼失する。
建て直す。
部材を交換する。
解体修理する。
ということが珍しくありません。
もちろん単純に、
「ヨーロッパは保存、日本は建て替え」
と分けられるわけではありません。
しかし建物を長く残す方法に違いがあることは確かです。
同じ材料を残し続けることだけが、「建物を残す」方法ではない
ということです。
伊勢神宮にも通じる「造り替えながら継承する」発想
日本建築を考えるとき象徴的なのが、伊勢神宮の式年遷宮です。
一定周期で社殿を造り替え、建築技術や儀式を次世代へ継承します。
建物の材料自体は新しくなっても、
形。
技術。
意味。
文化。
を受け継ぐ。
これは西洋の石造建築とは違う、「建築を残す」考え方です。
日本の城もまったく同じではありませんが、
焼失後に再建する。
解体して修理する。
失われた建物を史資料から復元する。
という文化には、共通する部分があります。
現代では「木造で復元するか」が新たなテーマに
この問題は現在の城郭整備にも続いています。
たとえば名古屋城です。
1612年に完成した木造天守は1945年の空襲で焼失しました。
1959年、市民の寄付によって鉄骨鉄筋コンクリート造の天守閣として再建されました。
しかしその再建天守も、老朽化や耐震性の問題から現在は閉館しています。
名古屋市は、残された実測図や写真などを使い、史実に忠実な木造復元を進める計画を掲げています。
ここには非常に現代的な問題があります。
見た目だけ昔の姿を再現すればいいのか。
昔と同じ木造で造るべきなのか。
耐震性やバリアフリーはどうするのか。
文化財としてどこまで再現するのか。
歴史的建造物を現在に造り直すことは、単なる建設工事ではありません。
現代のマンションにも通じる「建物の寿命」
世界の巨大建築を6回見てきましたが、最後に現代の不動産へ戻ってみましょう。
マンションでも、
「築何年まで住めるのか」
という疑問があります。
しかし実際には、
築年数だけで建物の寿命を判断することはできません。
構造。
施工品質。
維持管理。
修繕履歴。
設備更新。
耐震性能。
によって大きく変わります。
姫路城が400年以上残っているからといって、
「木造なら400年持つ」
とはいえません。
大規模な修理を繰り返し、専門家や職人が維持してきた結果です。
建物を長く使うには、
最初の建築性能と、その後の維持管理の両方が重要
なのです。
建物の価値は「新しいか古いか」だけでは決まらない
不動産では築浅が好まれる傾向があります。
しかし歴史建築を見れば、
古い=価値がない
という考え方が必ずしも正しくないことが分かります。
むしろ、
長い時間を経たこと。
街の記憶を持っていること。
建築技術を伝えていること。
地域のランドマークであること。
それ自体が価値になる建物もあります。
もちろん一般の住宅と文化財を同列には扱えません。
それでも、
建物の価値は築年数という数字だけでは測れない
という視点は、現代の不動産を見るうえでも参考になるでしょう。
まとめ
日本の城は、世界の巨大建築と比べると驚くほど短期間で造られた例があります。
豊臣大坂城では1583年に築城が始まり、1585年に天守が完成。
姫路城では1601年から大改築が始まり、1609年に現在の大天守が完成しました。
名古屋城では1610年に本格的な築城が始まり、1612年には大小天守が完成しています。
なぜこれほど早かったのでしょうか。
理由の一つは、
大量の資材・職人・労働力を短期間に集中投入できたことです。
特に天下普請・公儀普請では、複数の大名に工事を分担させることで、複数の工区を同時に進めることができました。
さらに、
高度な木造建築技術。
石垣技術。
資材調達。
職人の分業。
工事管理。
といった仕組みが整っていました。
ただし、
「日本の城は数年で完成した」
とだけ説明するのも正確ではありません。
天守が完成した後も、
二の丸。
三の丸。
堀。
御殿。
城下町。
などの整備は続いています。
そして火災や戦争によって焼失すれば、建て直すこともありました。
世界の大聖堂が「何百年もかけて一つの巨大石造建築を造る文化」だとすれば、日本の城は、
短期間で造り、その後、修理・改修・再建を重ねながら受け継ぐ建築
という別の特徴を持っていたと見ることができます。
今回の全6回で取り上げてきた建造物は、それぞれまったく違います。
ピラミッドは、約4500年前の巨大建設プロジェクト。
サグラダ・ファミリアは、140年以上続く現在進行形の建築。
ケルン大聖堂は、300年以上の中断を経て完成した建築。
ミラノ大聖堂は、完成と修復の境界が曖昧な建築。
万里の長城は、約2000年間にわたって更新された巨大インフラ。
そして日本の城は、
短期間で建て、直し、時には造り替えながら残してきた建築
です。
これらを比べると、「建物の寿命」とは単に何年間倒れずに残ったかではないことが分かります。
造る。
使う。
修理する。
更新する。
そして次の世代へ引き継ぐ。
建築は、完成した瞬間がゴールではありません。
むしろ、そこから始まる長い維持管理こそが、建物の価値を左右します。
世界の「すごすぎる建築」を見てきた今回のシリーズは、現代の住宅やマンションを見るときにも、
「この建物は何年建っているか」だけではなく、「これまでどう維持され、これからどう残していけるか」
という視点が重要であることを教えてくれます。
引用元・参考元
- 大阪城天守閣「豊臣石垣館/大坂城築城の歴史」
- 大阪城天守閣「大阪城天守閣 90年の歴史」
- 大阪市「大坂城跡(天守閣)」
- 大阪城天守閣「大阪城天守閣が大阪市指定有形文化財に指定」
- 姫路城公式サイト「姫路城の歴史」
- 姫路市「姫路城」関連資料
- 名古屋城公式ウェブサイト「近世」
- 名古屋城公式ウェブサイト「天守」
- 名古屋城公式ウェブサイト「天守閣整備事業の概要」

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