東京・日本橋。
橋の上に立って空を見上げると、そこには巨大な首都高速道路が走っている。
歴史ある石造橋。
その真上を覆うコンクリートと鉄の高架道路。
初めて訪れた人なら、
「なぜ、こんな歴史的な橋の真上に高速道路を造ったのだろう?」
と思うかもしれない。
しかも日本橋は、単なる古い橋ではない。
1603年に最初の橋が架けられ、翌1604年には東海道をはじめとする五街道の起点とされた、江戸の道路網の中心である。
現在の日本橋は1911年に完成した石造二連アーチ橋で、1999年には国の重要文化財に指定されている。 中央区
その日本橋の上に首都高速道路が開通したのは、
1963年12月21日。
翌年には、東京で1964年オリンピックが開催された。
そのため、
「東京オリンピックに間に合わせるため、景観を無視して高速道路を造った」
と説明されることも多い。
しかし実際の経緯はもう少し複雑である。
首都高速道路の構想自体はオリンピック決定以前から進められており、1950年代に深刻化していた東京都心の交通渋滞を解消することが大きな目的だった。
東京オリンピックは、その整備を一気に加速させるきっかけになったのである。 国土交通省
今回は、日本橋の上になぜ高速道路が造られたのか。
そして、なぜ今その高速道路を再び地下へ移そうとしているのか。
日本橋という一つの場所から、約60年間の東京の街づくりを見ていく。
日本橋は「日本の道路の中心」だった
日本橋が初めて架けられたのは、
1603年。
徳川家康が江戸幕府を開いた年である。
翌1604年には五街道の起点となった。
東海道
中山道
日光街道
奥州街道
甲州街道
が、日本橋を基準として全国へ延びていった。 中央区
つまり現在の東京駅が鉄道交通の中心なら、日本橋は江戸時代の、
「道路交通の東京駅」
のような存在だったといえる。
人が集まり、
物資が集まり、
商人が集まり、
金融が発達する。
その結果、日本橋周辺は江戸を代表する商業地域へ成長していった。
現在の日本橋は1911年完成
日本橋は江戸時代以降、火災や老朽化などによって何度も架け替えられている。
現在の橋が完成したのは、
1911年4月。
明治時代末期である。
石造二連アーチ橋で、橋の四隅には獅子像、中央付近には麒麟像が配置されている。 中央区
現在の日本橋は、江戸時代の木橋そのものではない。
近代国家となった東京が、
「日本を代表する道路橋」
として造り直した建築なのである。
日本橋が完成したころ、車はまだ主役ではなかった
1911年当時、日本の都市交通の主役は自動車ではなかった。
鉄道
路面電車
人力車
荷車
徒歩
などが中心だった。
しかし戦後、日本の交通事情は大きく変わる。
1950年代に入ると、自動車の普及が急速に進んだ。
いわゆる、
モータリゼーション
である。
一方、東京の道路網は急増する自動車に対応できていなかった。
首都高速道路によれば、1950年代には都心部の慢性的な交通渋滞が大きな問題となっており、その解消を目的として首都高速道路の建設が始まった。 首都高ドライバーズサイト
首都高は東京オリンピックのためだけに計画されたわけではない
ここは誤解されやすいところである。
首都高速道路について、
「1964年東京オリンピックのために急きょ造られた」
と思われることがある。
確かにオリンピックが工事を加速させたことは事実である。
しかし構想自体はそれ以前からあった。
国土交通省によれば、東京都は1951年に首都高速道路の予備調査を開始し、1959年には基本計画が決定されている。 国土交通省
そして1959年、東京オリンピックの開催が決定。
羽田空港から都心、競技場、選手村などを結ぶ道路網を短期間で整備する必要が生じた。
首都高速道路の建設は、一気に国家的な急務となったのである。
1964年まで「あと5年しかない」
東京オリンピック開催が決まったのは1959年。
大会は1964年。
残された時間は約5年だった。
現在でも都市高速道路を造ろうとすれば、
用地取得
都市計画
住民調整
設計
地下埋設物の移設
工事
などに長い年月がかかる。
まして当時の東京は、すでに建物が密集していた。
普通に土地を買収して高速道路を造っていたのでは、
オリンピックまでに間に合わない。
そこで考えられたのが、
「すでに公共の空間になっている場所を使う」
という方法だった。
高速道路を「道路の上」「川の上」に造った
国土交通省によれば、首都高の建設では短期間で整備するため、
既存道路
川
堀
水路
などの上空が積極的に利用された。
最大の理由は、
用地買収を最小限にできるから
である。 国土交通省
民家やビルを大量に買収して道路用地を確保しなくてもよい。
公共の川や道路の上なら、新しい用地取得を大幅に減らすことができる。
さらに、
工期短縮
建設費の抑制
にもつながる。
1960年代の東京にとって、これは非常に合理的な判断だったのである。
日本橋川は「高速道路を通すルート」になった
日本橋川も、その公共空間の一つだった。
川に沿って高速道路を造れば、建物が密集する日本橋の中心部でも、大規模な土地買収を避けられる。
首都高速道路自身も、日本橋周辺について、
急増する交通需要へ早急に対応するため、川や道路など公用地の上空を使用した
と説明している。 首都高ドライバーズサイト
こうして首都高速道路は、日本橋川に沿って建設されることになった。
そして当然、その途中にある日本橋の上空も通ることになったのである。
1963年12月21日、日本橋の上に首都高が開通
日本橋川上空の首都高が開通したのは、
1963年12月21日。
東京オリンピック開幕まで約10か月だった。 首都高ドライバーズサイト
高架道路は日本橋のすぐ上を横切った。
現在では見慣れた景色だが、それ以前の写真を見ると印象はまったく違う。
1911年完成の石造橋の上には空が広がり、その周囲には百貨店や商店、オフィスなどが並んでいた。
そこへ巨大な高速道路が出現したのである。
それでも当時は「近代化の象徴」だった
現在の感覚で見ると、
「歴史的な日本橋の景観を壊してしまった」
と思うかもしれない。
しかし1960年代当時、高速道路を見る感覚は現在とはかなり違っていた。
自動車が高速で都市を走り抜ける。
交差点には信号がなく、
歩行者もいない。
立体交差によって渋滞を避ける。
高架道路そのものが、
近未来都市の象徴
だったのである。
戦後復興を終え、高度経済成長へ向かっていた日本では、
高速道路
新幹線
高層ビル
高速鉄道
といった巨大インフラを造ることそのものが、豊かさの象徴でもあった。
首都高はオリンピックまでに約33km開通
工事のスピードは驚異的だった。
1962年12月、首都高最初の区間となる、
京橋~芝浦間4.5km
が開通。
その後次々と路線を延ばし、1964年東京オリンピックまでに約、
32.8km
が供用開始された。 国土交通省
計画からわずか数年で、東京の中心部に巨大な都市高速道路網を造ったのである。
東京タワー
東海道新幹線
首都高速道路
そして1964年東京オリンピック。
この時代の東京では、都市そのものが猛烈なスピードで造り替えられていた。
日本橋の景観より「交通」が優先された時代
当時の都市政策で最優先されていたのは、
自動車交通を処理すること
だった。
人口が増え、
経済活動が拡大し、
自動車が急増する。
渋滞を放置すれば、人も物も動かない。
そこで、
川の景観より高速道路
という選択が行われた。
これは現在の価値観から見れば問題に感じるかもしれない。
しかし当時の都市が抱えていた課題を考えれば、必ずしも単純な「失敗」とは言い切れない。
実際、首都高速道路はその後60年以上にわたり東京の物流・経済を支えてきた。
しかし街の価値観は変わった
高度経済成長期には、
道路を造ること
そのものに大きな価値があった。
ところが都市が成熟すると、求められるものが変わってくる。
景観
歩きやすさ
水辺空間
観光
歴史
文化
地域ブランド
などが重視されるようになる。
すると、
「なぜ日本橋の上に高速道路があるのか」
という疑問が改めて生まれることになる。
国土交通省も、日本橋周辺の首都高について、水辺空間を失わせ、都市景観や快適さに影響を与えたと説明している。 国土交通省
さらに問題になった「老朽化」
地下化を考える理由は景観だけではない。
1963年開通の日本橋区間は、すでに60年以上が経過している。
しかもこの区間には現在、
1日約10万台
の自動車が通行している。
首都高速道路によれば、
支承部の疲労き裂
コンクリート床版のひび割れ
など、多くの損傷が発生しており、長期的な安全性を確保するために抜本的な更新が必要になっている。 首都高ドライバーズサイト
つまり、
「景観を良くするためだけに高速道路を地下へ移す」
わけではない。
老朽化した高速道路そのものを更新する必要があり、その機会に都市再生も同時に進めようとしているのである。
「高架を直す」ではなく「地下へ移す」
通常なら老朽化した高架橋を、
補修する
架け替える
という方法も考えられる。
しかし日本橋では、もっと大規模な選択が行われた。
首都高速道路そのものを地下へ移す。
2017年、国・東京都・首都高速道路は、日本橋周辺の街づくりと連携しながら首都高を地下化する方針を公表した。 国土交通省
そして2020年から、日本橋区間地下化事業が本格的に進められている。 国土交通省
地下化する区間は約1.8km
計画されているのは、
神田橋JCT~江戸橋JCT間
を中心とする約1.8kmの区間である。
このうち地下構造となる区間は約1.2km。
日本橋川上空を走っている現在の高架道路を地下ルートへ切り替えていく。 国土交通省
完成すれば、日本橋の上から高架道路がなくなる。
約60年以上ぶりに、
日本橋の上に空が戻る
ことになる。
2026年現在、工事はすでに本格化している
これは遠い将来の構想ではない。
2024年3月には出入口の撤去工事が完了。
2025年4月5日からは高速八重洲線を長期通行止めとし、地下ルート建設を中心とする次の段階へ移行している。
2026年現在、工事は本格的な「PHASE 02」に入っている。 首都高ドライバーズサイト
現在の計画では、
地下ルート完成:2035年度
日本橋川上空の高架橋撤去完了:2040年度
を予定している。 首都高ドライバーズサイト
1963年に造られた高速道路が、約77年後となる2040年度を目標に日本橋川上空から姿を消す計画なのである。
地下化は簡単ではない
「高架道路を地下へ移せばいい」
と聞くと簡単に思える。
しかし日本橋の地下は、東京でも特に混雑した地下空間である。
地下鉄
上下水道
ガス管
電線
既存建物の基礎
地下街
などが複雑に入り組んでいる。
首都高速道路自身も、日本橋地下化について、
地下鉄や上下水道管、ガス管、電線などのライフラインと調整しながら進める非常に難しい工事
としている。 首都高ドライバーズサイト
1960年代は、
「地下が難しいから川の上へ」
高速道路を造った。
約60年後は、
「川の上を空けるため地下へ」
道路を移そうとしている。
東京の土木技術の進歩そのものを見ることができる。
川の下にトンネルを掘る
地下化区間の一部では、
シールドトンネル
が用いられる。
日本橋川の流れを止めず、
地上の道路交通を止めず、
既存の地下施設も避けながら、
地下に高速道路を通す。
首都高速道路は、この工事を、
「針の穴に糸を通すようにトンネルを日本橋川の下に構築する」
と表現している。 首都高ドライバーズサイト
高度経済成長期の「短期間で高架を造る技術」から、
令和の「既存都市を動かしながら地下へ造り替える技術」へ。
同じ首都高速でも、求められる技術は大きく変わった。
地下化と再開発を同時に進める
日本橋地下化事業のもう一つ重要な特徴が、
周辺再開発と一体になっていること
である。
日本橋川周辺では複数の大規模再開発が進んでいる。
単に高速道路だけを地下へ移すのではなく、
高架撤去
川沿いの空間整備
歩行者空間
再開発ビル
水辺利用
などを一体で進める。
国土交通省は、
国際金融都市にふさわしい都市景観
歴史・文化を踏まえた日本橋の顔づくり
沿道環境の改善
などを地下化による効果として挙げている。 国土交通省
ここでも登場する「立体道路制度」
不動産・都市開発の視点から特に面白いのが、
立体道路制度
である。
通常、道路として指定された土地には建物を自由に建てることができない。
しかし立体道路制度では、
「この高さからこの深さまでが道路」
というように、道路として使う空間を立体的に設定することができる。
日本橋地下化では、この制度を活用し、
建物の地下に首都高速道路のトンネルを通す
計画も取り入れられている。 首都高ドライバーズサイト
つまり、
地上は再開発ビル。
地下は高速道路。
という土地利用が可能になる。
1960年代と現在で「土地の使い方」が逆転している
ここが非常に興味深い。
1960年代。
土地を買収する時間がない。
↓
川という公共空間の上に高速道路を造る。
2020年代。
日本橋の水辺や景観を取り戻したい。
↓
建物の地下へ高速道路を移す。
どちらも目的は、
限られた都心の空間をどう使うか
である。
しかし、その答えが約60年で大きく変化している。
これは都市に求められる価値そのものが変わったことを示している。
「道路を造れば街が良くなる」時代から変わった
高度経済成長期には、
道路
鉄道
工場
オフィス
を造ることが都市発展に直結していた。
しかし成熟した都市では、
交通利便性だけでなく、
歩きたくなる街
川が見える街
歴史を感じられる街
観光したくなる街
に価値が生まれる。
つまり現在の都市開発では、
「何を造るか」だけでなく「何を取り戻すか」
も重要になっている。
日本橋地下化は、その象徴ともいえる事業である。
日本橋の高架がなくなると不動産価値は変わる?
日本橋の首都高地下化は、不動産の観点からも興味深い。
高架道路がなくなれば、
眺望
騒音
川沿いの景観
歩行者空間
店舗の入りやすさ
観光価値
などが変化する可能性がある。
さらに日本橋川沿いを歩けるようになれば、これまで高速道路の「裏側」だった場所が、
街の表側
へ変わる可能性もある。
もちろん、高速道路を地下化すれば自動的にすべての不動産価値が上がるという単純な話ではない。
しかし都市景観の改善が周辺再開発と連動すれば、
エリア全体のブランド価値
へ影響を与える可能性は十分にある。
「日本橋に空を取り戻す」という再開発
首都高速道路が地下へ移った後、日本橋川上空の高架橋は撤去される。
首都高速道路は、この最終段階を、
「日本橋川に青空を」
というフェーズとしている。 首都高ドライバーズサイト
1963年以来、日本橋から見上げれば存在していた高速道路が消える。
すると日本橋は、
1911年の石造橋
日本橋川
周辺の歴史建築
新しい再開発ビル
が一度に見える都市空間へ変わる。
「昔の景観へ完全に戻す」のではない。
歴史的資産を残しながら、現代の街へつくり直す。
これは第1回の東京駅にも通じる考え方である。
日本橋と東京駅には共通点がある
東京駅では、
歴史的な赤レンガ駅舎を保存し、
未利用容積を周辺へ移し、
超高層再開発と両立させた。
日本橋では、
歴史的な橋を残し、
高速道路を地下へ移し、
周辺再開発と水辺再生を両立させようとしている。
方法は違う。
しかし考え方は似ている。
「古いものを壊して全部新しくする」のではなく、歴史的な都市資産を中心に新しい街をつくる。
成熟した東京の再開発では、この考え方がますます重要になっている。
1963年の判断は間違いだったのか?
ここまで読むと、
「最初から地下に造ればよかったのでは?」
と思うかもしれない。
しかし、これは結果論でもある。
1960年代の東京には、
急激なモータリゼーション
慢性的な交通渋滞
東京オリンピック
限られた時間
限られた予算
という事情があった。
そのなかで、
川や道路の上を利用して高速道路を短期間で完成させる
という方法は、当時として極めて合理的だった。
首都高速道路はその後、日本の高度経済成長と東京都心の経済活動を60年以上支えてきた。
重要なのは、
当時の判断を現在の価値観だけで評価しないこと
である。
都市は「完成」することがない
都市開発には、一度造れば永遠に正しい答えというものはない。
1960年代には、
高速道路が必要だった。
2020年代には、
高速道路を維持しながら、水辺と景観を取り戻すことが求められている。
さらに50年後には、また別の価値観になっているかもしれない。
都市は、その時代の社会や技術に合わせて作り替えられていく。
日本橋は、
江戸の道路起点
から、
明治の石造橋
へ。
そして、
昭和の高速道路都市
から、
令和の地下道路と水辺の都市
へ変わろうとしている。
一つの場所に、東京の400年以上の都市史が重なっているのである。
まとめ
日本橋の上に首都高速道路がある最大の理由は、
1960年代の東京で、高速道路を短期間に整備するためだった。
1950年代、日本では自動車が急速に増え、東京都心では深刻な交通渋滞が発生していた。
首都高速道路の計画そのものは東京オリンピック決定以前から進められていたが、1959年に1964年大会の開催が決まったことで整備は一気に加速した。 国土交通省
しかし、すでに建物が密集していた都心で新たな道路用地を大量に買収するには時間も費用もかかる。
そこで、
道路・川・堀など既存の公共空間の上空
が活用された。
その一つが日本橋川だった。
こうして1963年12月21日、日本橋川上空の首都高速道路が開通した。 首都高ドライバーズサイト
それから60年以上。
首都高は東京の経済活動を支えてきたが、構造物の老朽化が進み、日本橋の歴史的景観や水辺空間を取り戻そうという価値観も強くなった。
そこで現在進んでいるのが、
首都高速道路日本橋区間地下化事業
である。
神田橋JCT~江戸橋JCT間を中心とする約1.8kmを再編し、地下ルートを整備。
2026年現在は工事が本格化しており、
2035年度に地下ルート完成、2040年度に高架橋撤去完了
を予定している。 首都高ドライバーズサイト
つまり日本橋では、
1960年代には「土地を使わないため川の上へ道路を造り」、2020年代には「川と景観を取り戻すため地下へ道路を移す」
という、まったく逆の都市開発が行われている。
どちらも、その時代の東京が必要とした答えである。
日本橋の真上を走る首都高速道路は、
単なる「景観を邪魔する高架道路」ではない。
高度経済成長期の日本が、限られた土地と時間のなかで東京を近代都市へ変えた証拠
でもある。
そして現在進む地下化工事は、
交通機能を維持しながら、歴史・水辺・景観を都市価値へ戻そうとする次の時代の街づくり
なのである。
次回は、
【日本をつくった名建築 第7回】旧帝国ホテルはなぜ伝説の建築になった?フランク・ロイド・ライトと日本
をテーマに、世界的建築家フランク・ロイド・ライトが日本に残した巨大ホテル、関東大震災との関係、解体、そして明治村へ移築された玄関部分まで掘り下げる。
引用元・参考元
- 首都高速道路株式会社「首都高速道路日本橋区間地下化事業・事業の概要」 首都高ドライバーズサイト
- 首都高速道路株式会社「工事の概要」 首都高ドライバーズサイト
- 国土交通省「経済成長とインフラ整備の歴史」 国土交通省
- 国土交通省「日本橋周辺のまちづくりと連携し、首都高速道路の地下化に向けて取り組みます」 国土交通省
- 中央区「日本橋」 中央区
- 文化庁「国指定文化財等データベース 日本橋」 国指定文化財データベース


