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【投資の歴史2話】日本の投資の歴史を読み解く|米相場から株式市場・NISA・不動産投資まで

2026/07/11
基礎知識

日本の投資の歴史は、欧米から株式市場の仕組みを輸入して始まったものではない。江戸時代の米取引、明治の公債・株式市場、戦後の貯蓄文化、バブル期の不動産投資、そして現在のNISAやJ-REITへと続く独自の流れがある。今回は、リヴトラスト・リヴグループの読者にも関心の高い資産形成の視点から、日本人と投資の関係をたどる。

日本の投資の原点は江戸時代の「米相場」にあった

日本における投資の歴史を考えるとき、最初に注目すべきは江戸時代の大阪である。当時の日本経済では、米が年貢として集められ、全国の藩の財政を支える中心的な資産だった。大阪には各藩の蔵屋敷が集まり、米は単なる食料ではなく、経済の基準となる重要な商品として取引されていた。

なかでも堂島米会所は、日本の取引所の起源として知られる。JPXの資料によれば、1697年に市場が堂島へ移り、1730年には江戸幕府が米切手を売買する現物市場と、帳簿上で米を売買する先物市場を公認した。堂島米会所は、組織的な先物取引所の先駆けとも位置づけられている。

ここで重要なのは、日本では「将来の価格を見越して取引する」という考え方が、かなり早い段階から存在していたことだ。米の価格は天候、収穫量、藩の財政、都市の需要によって変動する。つまり、堂島の米取引は、現代の株式投資や商品先物取引と同じように、情報を集め、将来を読み、リスクを取る市場だったのである。

米切手は日本における証券取引の出発点だった

堂島米市場で使われた「米切手」は、米と交換できる証券のような役割を持っていた。実物の米をその場で動かさなくても、米を受け取る権利が売買される。この仕組みは、現代の有価証券に通じる発想といえる。

もちろん、江戸時代の取引は現在のような金融商品取引法や情報開示制度のもとで行われていたわけではない。だが、米という実物資産を背景に、権利を売買し、価格を形成し、決済する市場が存在していた点は非常に大きい。投資とは、紙やデータの上だけで完結するものではなく、もともとは生活に欠かせない実物資産と深く結びついていた。

この構造は、不動産投資にも通じる。マンションや土地もまた、単なる価格変動の対象ではなく、人が住み、働き、暮らすための実物資産である。米が人々の生活を支えたように、不動産も生活需要に根ざしている。リヴトラストやリヴグループが扱う不動産投資を考える際にも、「実需に支えられているか」という視点は欠かせない。

明治時代に公債と株式市場が生まれた

日本の投資史が近代的な形へ進んだのは明治時代である。明治政府は近代国家をつくるため、鉄道、通信、産業、金融制度を整備していった。その過程で、政府の資金調達手段として公債が発行され、民間企業の資金調達手段として株式市場が整えられていく。

JPXによれば、1876年の秩禄処分によって金禄公債が支給されると、公債取引が活発になった。その後、1878年に渋沢栄一らが東京株式取引所を設立し、同年6月1日に取引を開始した。最初の上場物件は公債であり、年末までに第一国立銀行を含む株式会社4社が上場したとされる。大阪でも同じく1878年、五代友厚らを中心に大阪株式取引所が設立された。

この時代の投資は、国家の近代化と深く結びついていた。鉄道会社、銀行、紡績会社、商社などが資金を集め、事業を広げる。その成長を支えるために、投資家が公債や株式を購入する。つまり投資は、個人の資産形成であると同時に、日本の産業化を支える仕組みでもあった。

大正・昭和初期の市場は成長と混乱を繰り返した

明治から大正にかけて、日本経済は急速に発展した。第一次世界大戦期には輸出の増加や金融緩和を背景に景気が拡大し、株式市場も盛り上がりを見せた。一方で、急激な相場上昇は反動も招いた。JPXの沿革では、1920年3月15日に大量の売り物によって大暴落が起き、2日間立会が停止されたことが紹介されている。

その後も、1923年の関東大震災、1929年の世界恐慌、1930年代の戦時体制への移行など、日本の投資市場は大きな変化を経験した。投資市場は平時には企業の成長を支えるが、災害、戦争、金融危機といった出来事によって大きく揺さぶられる。これは現在にも通じる教訓である。

特に戦時体制下では、自由な市場取引よりも国家統制が強まり、投資は資産形成というよりも、国家財政や軍需経済と結びつく色合いを強めた。投資の歴史を振り返ると、市場の自由度、情報の透明性、投資家保護の制度がいかに重要かが分かる。

戦後の証券市場は「民主化」とともに再出発した

第二次世界大戦後、日本の証券市場は一時的に停止した。JPXによれば、1945年8月から1949年に取引が再開されるまで、取引所は3年9か月にわたって閉鎖されていた。その後、1949年4月に東京証券取引所と大阪証券取引所が会員制法人として再出発し、5月16日に東京証券取引所の立会が再開された。

戦後の大きな特徴は、証券市場の「民主化」である。財閥解体によって放出された株式が国民に広がり、投資者保護を基本理念とする証券取引法も整備された。投資は、一部の資産家や商人だけのものではなく、一般の人々にも開かれた仕組みへと変わっていった。

ただし、戦後日本の家計は長く「投資」よりも「貯蓄」を重視してきた。高度経済成長期には、銀行預金でも比較的高い金利が得られ、終身雇用や年功序列、退職金制度も家計の安心材料だった。そのため、多くの家庭にとって資産形成とは、株式を買うことよりも、まず預金を積み上げることだった。

高度成長期は「会社の成長」に投資する時代だった

1950年代から1970年代にかけて、日本は高度経済成長期を迎えた。家電、自動車、鉄鋼、化学、建設、金融など多くの産業が拡大し、企業の成長が株式市場にも反映されていった。JPXの資料でも、1961年には高度成長を背景に株価が上昇し、店頭取引が拡大したことから、市場第二部が開設されたと説明されている。

この時期の投資は、日本企業の成長を信じる投資でもあった。企業が設備投資を行い、輸出を伸ばし、雇用を増やす。その成長を株式市場が支える。投資家は、企業の成長に資金を託すことで、配当や値上がり益を期待した。

同時に、都市への人口集中も進んだ。地方から都市部へ人が移動し、住宅需要が拡大した。ここで不動産は、生活基盤であると同時に、資産としての意味を強めていく。都市部の土地や住宅は、経済成長と人口増加に支えられ、家計にとっても重要な資産になった。

バブル期に不動産投資は過熱した

日本の投資史を語るうえで、1980年代後半のバブル期は避けて通れない。株価と地価が大きく上昇し、「土地は下がらない」という見方が広がった時代である。内閣府は、バブルを資産価格が経済の基本的要因から大きくかい離して上昇する状態として説明し、土地や株式の価格形成には期待収益、金利、リスクプレミアムが関係すると整理している。

バブル期には、不動産投資も大きく注目された。都市部の土地やビル、マンションは値上がり期待で取引され、金融機関の融資も不動産市場を押し上げた。しかし、価格が実際の賃料収入や利用価値から離れすぎると、いずれ調整が起きる。内閣府の資料では、バブル崩壊後、株式は1990年から、土地は1991年から巨額のキャピタルロスが発生したとされている。

この経験は、現在の不動産投資にも大きな教訓を残している。価格上昇だけを見て投資判断をするのではなく、賃貸需要、人口動態、管理状況、金利、出口戦略を総合的に見る必要がある。不動産投資は、短期的な相場だけでなく、長期的に選ばれる立地と物件の質を見極める投資である。

金融ビッグバンとインターネットが個人投資を変えた

1990年代後半以降、日本の投資環境は大きく変わった。金融制度改革、いわゆる金融ビッグバンによって、証券取引の自由化や手数料競争が進み、インターネット証券の登場によって個人投資家が市場に参加しやすくなった。JPXの沿革では、1999年に東京証券取引所が株券売買立会場を閉場し、取引をシステムへ移行したことが紹介されている。

これにより、投資は証券会社の窓口に出向くものから、自宅のパソコンやスマートフォンで行うものへと変化した。株価情報、企業情報、投資信託の比較、為替、金利、不動産市況など、個人が確認できる情報量も格段に増えた。

ただし、情報が増えたことは、必ずしも判断が簡単になったことを意味しない。むしろ、短期的なニュースやSNSの声に左右されやすくなった面もある。投資の歴史を知ることは、相場の熱気から一歩距離を置き、冷静に判断するための土台になる。

J-REITは不動産投資を証券市場につなげた

2000年代に入ると、日本の不動産投資は新しい段階に進む。J-REIT、不動産投資信託の登場である。ARESのJ-REIT情報サイトによれば、2000年11月の投信法改正によりJ-REITが解禁され、2001年3月に東京証券取引所がJ-REIT市場を開設、同年9月に日本ビルファンド投資法人とジャパンリアルエステイト投資法人が初のJ-REITとして上場した。

J-REITの登場によって、個人投資家はオフィスビル、商業施設、物流施設、ホテル、住宅などの大型不動産に、証券市場を通じて間接的に投資できるようになった。これは、不動産投資を小口化し、流動性を高めた点で大きな意味を持つ。

一方で、現物のマンション投資とJ-REITは同じ不動産投資でも性質が異なる。J-REITは市場価格が日々変動し、金利や景気、投資家心理の影響を受けやすい。現物不動産は売買に時間がかかる一方、賃貸管理や物件ごとの収益性が重要になる。リヴトラスト・リヴグループの読者が不動産投資を考える際にも、現物不動産と証券化商品の違いを理解することが大切である。

NISA時代の投資は「特別な人のもの」ではなくなった

近年、日本では「貯蓄から投資へ」という流れが強まっている。その象徴がNISAである。金融庁によれば、NISAは2014年1月に始まった少額投資非課税制度であり、2018年にはつみたてNISA、2024年1月からは新しいNISA制度が開始された。2024年からの制度では、非課税保有期間の無期限化や制度の恒久化が行われている。

この変化は、日本人の資産形成にとって大きな転換点である。預金だけで将来に備える時代から、株式、投資信託、債券、不動産、保険、年金制度などを組み合わせて考える時代へ移っている。

ただし、投資が身近になったからといって、簡単に利益が出るわけではない。歴史を振り返れば、市場は何度も上昇と下落を繰り返してきた。大切なのは、商品名や流行だけで判断せず、自分の目的、期間、リスク許容度に合った資産形成を考えることだ。

日本の投資史から不動産投資を考える

日本の投資の歴史を振り返ると、投資対象は米、公債、株式、土地、投資信託、J-REIT、NISAへと広がってきた。だが、その根本には常に「将来の価値をどう見極めるか」という共通の問いがある。

不動産投資であれば、単に価格が上がりそうかを見るだけでは不十分だ。そのエリアに住みたい人がいるか、交通利便性は高いか、人口や世帯数の見通しはどうか、建物管理は適切か、長期的に賃貸需要が見込めるか。こうした点を確認する必要がある。

リヴトラストやリヴグループに関心を持つ読者にとって、不動産投資は資産形成の選択肢の一つである。ただし、歴史が教えてくれるのは、どの投資にも必ずリスクがあるということだ。重要なのは、価格の勢いに乗ることではなく、実需と収益性に裏づけられた価値を見極める姿勢である。

まとめ

日本の投資の歴史は、江戸時代の米相場から始まり、明治の公債・株式市場、戦後の証券民主化、高度成長期の株式市場、バブル期の不動産投資、J-REIT、NISAへと続いてきた。投資は時代ごとに形を変えながら、日本経済と家計のあり方に深く関わってきた。

この歴史から学べるのは、投資は一時的な流行ではなく、社会の変化、制度、人口、金利、実需と結びついた長期的な営みだということだ。株式投資でも不動産投資でも、短期的な値動きだけに目を奪われると、本来見るべき価値を見失いやすい。

これからの資産形成では、NISAのような制度を活用しながら、現物不動産やJ-REITなどの特徴も理解し、自分に合った投資を冷静に選ぶ姿勢が求められる。リヴトラスト・リヴグループのコラムとしても、不動産投資を考える読者には、「今後も選ばれ続ける資産か」という視点を大切にしてほしい。

第3話では、日本発祥とされるローソクチャートに焦点を当てる。江戸の米相場から生まれた相場分析の知恵が、なぜ現代の株式・為替・不動産市況の見方にもつながるのかを見ていく。

 

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