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なぜ福沢諭吉は都心の超一等地に慶応大学を開けたのか…維新直後の東京で起きた「不動産大暴落」 武士が消えて、大名屋敷は軒並み空き家となった

2022/04/20
2022/07/01

出典:なぜ福沢諭吉は都心の超一等地に慶応大学を開けたのか…維新直後の東京で起きた「不動産大暴落」 武士が消えて、大名屋敷は軒並み空き家となった | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)

要点

  • 明治維新後、東京は荒れ野原になり、極度の経済不況に陥った。参勤交代による消費の貢献度は高かったものの、年間経費など大きな負担になった
  • 土地が極端に安く、需給のバランスが崩れ地価が暴落。廃藩置県後に、人口が安定して地価が上昇。
  • 福沢諭吉は東京の拝借地を、下げる話を聞きすぐに行動。松平家からの譲渡の話もあったが譲らず、今の三田キャンパスが誕生した

コメント

匿名ユーザー
東京の土地を安く手に入れられるときに、即行動に移したのはさすがの福沢諭吉だなと思います。ここで荒れ地だし、将来性はないと見切りをつけていたら、今の慶応大学が生まれなかったことになります。三田キャンパスなんて一等地にありますし、膨大な規模を今も維持できているのはすごいこと。土地も不動産もタイミングがいかに重要なのかを感じます。将来性を見抜ける人は強いですね。
匿名ユーザー
明治維新後に、東京の土地を政府が徴収して払い下げをしていたことも知りませんでした。参勤交代もなくなり、武士でいる必要のなくなった時代。東京の景色も全く違ったのだと思います。荒れ野原になっている場所を、どうにか管理してもらえないか、政府にとっても大きな悩みの種だったのでしょう。その後、東京の土地は人口とともにうなぎのぼりになっていきます。不動産も需要と供給のバランスが重要なのだと実感しました。
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