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水辺開発される街

2020/04/10
2023/03/10
不動産投資コラム

水辺開発される街

今月4月13日、ゆりかもめ竹芝駅やJR浜松町駅からほど近い場所に‟Waters takeshiba” が一部開業します。

劇団四季の新劇場やオフィス、ラグジュアリーなホテルが進出するほか、低階層には「アトレ竹芝」が開業。飲食店などを複数店舗構え、汐留・東京湾に開かれた新しい施設として注目されています。

5月以降も国際ビジネス拠点となる竹芝地区開発計画(仮)が進んでおり、2023年にはイベントスペースとなる芝浦一丁目計画(仮)が予定されている竹芝地です。

もともと埋立地だったこの場所はどのように発展してきたのか、また竹芝を含むベイエリアはなぜここまで開発されてきているのでしょうか?

竹芝の歴史

江戸時代、隅田川を中心とした東京の河川や運河は人々で賑わっていました。その結果、河川や運河を中心とした「水の都=江戸」という都市としてのイメージが作られていきました。

しかし、時代は変わり、戦後に都市が産業化をしていく中、河川の水質悪化や、地盤沈下が進行した地域が増加。また、高潮や洪水、地震による津波から人々を守るために防波堤や水門などの整備を進めたために、人々が水辺から遠ざかる環境をつくってしまいました。

明治時代は、こうした理由から川に背を向けるように町並みが作られてしまっていたのです。

しかし、その後大型貨物船やコンテナ船を就航させ、新たな物流の拠点を創出することを目的として、1927年に東京市による埋め立てにより竹芝町が誕生しました。
1950年に東京湾納涼船が就航し、1964年には東京モノレール浜松町駅が開業、その後バブル時代へと突入し、急増するオフィス需要に東京湾の遊休地を活用する「東京副都心計画」の対象区域として、開発が進められてきました。

こうして現在も、東京の海の玄関口として発展し続けている竹芝ですが、このように水辺が注目されているのは、東京だけではありません。(参照:一般社団法人 竹芝エリアマネジメント)

地方における水辺再生

■大阪

高度経済成長期、大阪では多くの川が埋め立てられました。

この頃から川に背を向けてビルが建設されることが増え、川の水質は悪化し、ヘドロが溜まり水辺の都としての輝きにも影を落とした時代もありましたが、1990年代に入ると、海や川と共にある大阪を再生させようと大阪府や大阪市、関西経済界を中心に水都大阪再生への取り組みが動き出しました。

2001年にはそうした取り組みが国の都市再生プロジェクトに指定され、それから18年、行政・企業・市民が連携し、水都大阪の再生を推進してきました。

■名古屋

名古屋城の北側から西側へ回り込むように流れ、名古屋市の中心部を縦断する堀川は、かつては産業の路としての役目を担った川でした。
経済的な発展の裏で水質汚染が深刻化し、次第に住人たちは目を背けていきましたが、今、そんな堀川に活気が戻り始めています。

名古屋市は堀川の再生において水辺を市民の生活の中に取り戻す、「親水」の観点を重要視しており、水質汚染によって地域住民から目を背けられた堀川を再び市民の生活の中に取り戻すことで、名古屋全体にうるおいと活気を与える都市の軸にしようという狙いがあります。

堀川周辺の歴史・文化を発掘して歩く会「堀川文化探索隊」や、堀川周辺を案内するガイドボランティア「堀川文化を伝える会」など、さまざまな市民活動が行われるようになりました。(参照:経済界)

このように、東京に限らず全国で水辺の重要性が再提唱されているのです。

最後に

今回は竹芝を含むベイエリアついてご紹介しました。

どの地域も、河川の水質悪化等が起こった際、一度人々の生活の場は水辺から離れる動きを見せていますが、時代の流れとともに水辺の重要性が再認知され、生活の中に取り入れるべきものとして開発が続けられているエリアになっています。

新たな商業施設が建つことによって人々が集まる場にもなり、今後も目が離せない場所になっていくことでしょう。

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